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最新記事【2006年10月26日】

 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)は全員が1979年生まれで
 
 
千葉県佐倉市出身の4人組の男性グループ
 
 
(藤原のみ秋田県生まれ、佐倉市育ち。他の3人は佐倉市生まれの佐倉市育ち)
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)のリーダーは不在(影のリーダーは升)
 

 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
藤原基央(ふじわら もとお)1979年4月12日 未年・牡羊座 O型。
 
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
作詞・作曲、ヴォーカル、エレキギターを担当。愛称は「藤君」。
 
 
 
絵が上手くBUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)のアルバム
 
『THE LIVING DEAD』、『ユグドラシル』などのジャケットの絵を手掛ける。
 
 
ソロ(MOTOO FUJIWARA名義)で、ゲームソフト「テイルズオブジアビス」にゲーム音楽を提供。
 
サウンドトラック『SONG FOR TALES OF THE ABYSS』もリリースされた。
 
 
 
小学生の頃は、他人と違う意見を主張し、よく先生を困らせていた
 
(道徳の授業になるといつも先生と口論になり、職員室へ呼び出されていた)
 
 
 
サッカーチーム「FC佐倉」に所属していた。
 
背番号は42番で、本人曰く「死人番号」と云われていた番号を何気なく選んだそうである。
 
 
 
部活ではトランペットを担当。
 
唄うことが大好きで音楽自体にも興味が沸いていた頃に升からスカウトされた。
 
 
 
日出学園高等学校に進学するも周囲の雰囲気に馴染めず、高校1年生の秋に学校を中退。
 
露天商や喫茶バー等のバイトをしながら音楽活動に専念する(のちに上京)。
 
  
  
初期の代表曲『ガラスのブルース』はこのころ作曲された。
 
東京では四畳半の部屋で極貧生活も経験しており、ストリートで演奏したりしていた。
 
 
 
『ガラスのブルース』と『FLAME VEIN』の間の期間、
 
ミュージカル用の楽曲を書き下ろす経験をしている

ほとんど見えない程目が悪いが「見えすぎるのが嫌い」とメガネはかけない。
 
 
 
ただし、MOTOO FUJIWARA名義のアーティスト写真では、
 
胸ポケットにメガネを入れている藤原を確認することが出来る。
 
 
 
プリン、ガリガリ君が好物のようであるが、辛いものは食べられない。
 
 
猫とライオンをこよなく愛している。
 
 
「黒蜜糖」という名の黒猫を飼っている(『LAMP』のジャケットの猫、近年未確認)。
 
 
ダッフルコートが好き。
 
 
矢沢あいの漫画『天使なんかじゃない』完全版4巻にコメントを書いている。
 
 
将来は仙人になりたいらしい。
 
 
レギュラーのラジオ番組での誕生日企画で予想以上にイジられてしまったため、
 
あいうえお作文が嫌いになってしまったようである。
 
 
携帯電話のテトリスで約280,000点取ったことがある。
 
 
 
街で声をかけられ、拒んでいるのにもかかわらずシャンプーを持たされ写真を撮られ、
 
後に言ってもないコメントと共にヘア関係の雑誌に載った。
 
 
 
すでにデビューしていたが、職業はフリーターと書かれている。
 
  
ハーモニカが得意で赤いハーモニカ(300円の土産物)を愛用。
 
 
新世紀エヴァンゲリオン繋がりで俳優の松田龍平と仲が良い。
 
 
 
普段から親交の深いsyrup16gの『水色の風』という曲にコーラスとして参加している。
  
  
コードネームは「チャン・ツィイー」である(やまだひさしのラジアンリミテッドDXより)
  
  
インタビューなどでは何か格言めいた言葉を言わないと気が済まないらしい。

BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
増川弘明(ますかわ ひろあき、1979年12月20日-、未年・射手座)A型
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)エレキギターを担当。
 
 
 
愛称は「ヒロ」、「ニッケ」、「ホセ」など。「ニッケ」の由来は「日経とJALの二人旅」を
 
「ニッケとジョルの二人旅」と読んだことから。「ホセ」の由来は「細い→ほせぇ→ホセ」。
 
 
 
中学生時代、藤原と非常に仲が良かった。
 
 
 
その事についてはBUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)のCD
 
『jupiter』の隠しトラック『In My NIKKE』からもわかる。
 
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
数々の隠しトラックで他のメンバーにイジられている。
 
 
 
ギターをはじめたきっかけは、藤原が自分のギターを増川宅に隠していたからである。
 
左利きであるのに右利き用ギターを使用しているのはこのことからである。
 
 
 
千葉県立佐倉高等学校を経て、一浪後中央大学へ進学、理工学を専攻。
 
一方、アルバイトの講師として勤務していた塾では英語を教えていた。

BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)の他のメンバーに比べると
 
比較的大人しいが、下ネタを喋らせると一人で
 
どこまでも突っ走る為、誰にも止められない。
 
 
 
よく財布を落とすが、いつも誰かに拾われ奇跡的に戻って来る。
 
 
藤原と一緒に自動車の免許を取得しようとしたのだが、
 
自信がなかった藤原を励まして学科試験を受けたにもかかわらず、
 
2人のうち増川だけが落ちてしまった。
 
 
 
その後増川も無事取得、2人でポテトチップスを食べてお祝いした。
 
 
 
お酒に酔うと性格が豹変し、「ヒロさん」と呼ばれる人格になる。
  
 
 
この様子が公式サイトの「TAKAHASHI DIARY」に載っている。

 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
直井由文(なおい よしふみ、1979年10月9日-、未年・天秤座)A型
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)ベースギターを担当。
 
 
愛称は「チャマ」
 
 
「チャマ」の由来は、子供の頃友達に100円奢り、
 
「おぼっちゃま」→「チャマ」と変化したことから。
 
 
 
一部の曲の作詞作曲に関わっている。
 
 
 
メンバーの間では"カメラ担当"と言っていいほどの技術を持ち、
 
『ユグドラシル』の歌詞カードでは直井の撮った写真に藤原が絵を書くという合作を行った。
 
 
 
また、『ロストマン/sailing day』のジャケットの写真も担当し、
 
『オンリー ロンリー グローリー』のジャケットの撮影の時には単身ハワイへと飛んだ

 
師匠は蜷川実花。
 
 
 
実家は佐倉市にある「居酒屋 おおいわ」で、ファンの間では観光スポットとなっている。
 
 
 
中学時代からプロ入りを決意し、父に頼んだところ
 
「18歳までに大検と調理師免許を取ったら好きにしていい」と言われ、猛勉強する。
 
 
 
高校へ行かずに調理専門学校へ通い、見事約束を果たす。
 
よって、大検と調理師免許を所有している。
 
 
 
オタクなくらい漫画もアニメもゲームも大好き。
 
 
 
ファンクラブに入っていたほどの、JUDY AND MARYのファン。
 
 
 
メンバーの中でただ1人、単独での著書『COMIC WORLD FUN』がある。
 
 
 
かなりのオシャレ好き(自称)であり、メンバーも認める一番のオシャレである。
 
 
 
最近は升と共に下ネタトークを繰り広げることが多い。


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
升秀夫(ます ひでお、1979年8月10日-、未年・獅子座)A型
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)ドラムと下ネタを担当
 
 
 
愛称は「升」、「秀ちゃん」
 
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)のバンド結成の立役者である。
 
 
 
中学生時代、X JAPANに衝撃を受けた升はバンド結成を計画。
 
 
帰りの会の時間に当時テクノカットだった藤原をスカウトした。
 
 
その時の一言は「一緒にロックを変えようぜ!」であるといわれている。
 
 
藤原の小学校の卒業文集(備考:だまれガチャピン参照)を見て
 
「こいつはすげえぜ」と早くから友達になりたがっていたらしい。
 
 
 
藤原の他に、増川をボーカルとしてスカウトしたこともあったそうだが、
 
失敗に終わった(ボーカルには向いていなかった)。


 
最初、ベースがやりたかったらしいが、友人がゴミ捨て場に粗大ゴミとして捨ててあった

ドラムを拾い、ドラム担当となる。彼がドラムを拾わなかったらこのバンドは

結成されていなかった、といわれている。

千葉県立佐倉高等学校を経て獨協大学へ進学、外国語学を修め卒業。


漢字が書けないらしく、自分の名前の「秀」の字を書くとき、

「乃」の部分に迷いが出てくるようである。

隠しトラック(後述)ではメインボーカルをとることが多い。
 
 
中学時代、バスケ部では万年補欠のバンプの中で唯一途中から試合に出たことがある。
 
緊張のあまり味方側にゴールをしそうになったが外れる。
 
 
 
しかしリバウンドボールを自らキャッチし、再び味方側にゴールをしそうになったので、
 
すぐに交代させられた。
 
 
 
藤原によると、「中学時代は自分よりレベルの低い奴とは話さねぇ
ヤな奴だったのに、今では仏の様」

 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)の四人は幼稚園からの幼馴染
 
(しかし幼稚園時代、藤原・直井・増川は升の事を知らなかったらしい)であり、
 
 
その内直井・升・増川の三人は長嶋茂雄と同じ小学校に通う。
 
 
 
そしてBUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)全員が同じ佐倉市立臼井西中学校へ行き、再会する。
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)全員がバスケットボール部所属。しかしバスケ部では万年補欠だったため、
 
よく「体育館倉庫を真っ暗にして閉じこもる遊び」(暗闇ごっこ)、をやっていた。
 
 
 
中学三年生のとき(1994年)文化祭のためにバンドを結成
 
(組んだ頃のバンド名は"ハゲバンド"らしい)
 
 
 
ビートルズの初期の曲のコピーをする。その後、the pillowsなどもコピーするようになる。
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)結成当初、増川はギターを弾きたいとは思っていたが、
 
幕の上げ下ろしなどスタッフ的な役割が主で、
 
ギター担当は別にもう一人のメンバー(通称"あいつ")がいた。
 
 
 
しかし"あいつ"はやる気があまりなかったらしく真面目に練習しなかったため、
 
チームワークの乱れに不安を覚えたメンバーが"あいつ"に内緒で、
 
代わりに増川と四人で大会に出たところ健闘し、結果"あいつ"はクビになり、
 
増川がメンバーになった。
 
 
これがBUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)の誕生秘話である。

 
1996年
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
2月11日
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)の初ライブ。
 
 
夏、Beat Brust in Japan に『ガラスのブルース』(アルバム『FLAME VEIN』収録)で
 
全国大会に出場し、BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)が、グランプリに輝く。

BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
1997年


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)の初の音源となるデモテープの製作、配布を開始。

『BUMP OF CHICKEN(のテーマ)』『DANNY』『ガラスのブルース』の3曲が収録されていた。

BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン) 
 

1998年
 
 
BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
6月、劇団「すいっち」公演のミュージカル『はしるおんな』に生バンド役としてメンバーが出演
 
藤原も6曲ほど公演のために書き下ろす。
 
 
当時の公演の貴重な記録藤原曰く、最初の「MOTOO FUJIWARA名義での活動」はこれである、とのこと。
 

BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
  
 
1999年
 
 
3月、ライブを重ねつつ、ハイラインレコーズからデビューアルバム『FLAME VEIN』をリリース。
 
 


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
2000年
 
3月、メジャーデビューが迫る中、セカンドアルバム『THE LIVING DEAD』をリリース。
 
 
 
9月、トイズファクトリーからメジャーデビューシングル『ダイヤモンド』をリリース。
 
「生きる」という事をストレートに唄った歌詞が多くの共感を得る。
 


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
2001年
 
3月、シングル『天体観測』を発売。
 
この楽曲は55万枚以上を売り上げ、BUMP OF CHICKEN の存在を広く知らしめる事となる。
 
 

BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
2002年
 
 
2月、シングル『天体観測』を含んだメジャー1stアルバム『jupiter』を発売し、
 
BUMP OF CHICKENにとって初となるオリコンアルバム週間チャート初登場1位を記録した。
 
 
 
7月、フジテレビジョン(関西テレビ放送製作)で彼らの楽曲が挿入歌として使用された
 
テレビドラマが放送される。そのドラマのタイトルが『天体観測』であったため、
 
当然BUMP OF CHICKENのシングル『天体観測』が主題歌に使われるかと思われたが、
 
実際の主題歌は中島美嘉の『WILL』だった。挿入歌にはインディーズの頃の曲も使われていた。
 
このドラマの音楽についてファンの間では厳しい意見が交わされていた。
 


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
2003年
 
 
3月、シングル『sailing day』が、アニメ映画『ONE PIECE デッドエンドの冒険』の主題歌となる。
 
四人は漫画やアニメが好きで『ONE PIECE』のファンでもあった。
 
『週刊少年ジャンプ』にも彼らのインタビューが掲載された。
 
 


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
 
2004年
 
 
3月~4月、インディーズ時代の代表曲『アルエ』のシングルカットや、
 
インディーズ時代のアルバムが春に立て続けに再リリースされ、
 
特に『アルエ』は予想外の好評で、発売直後は品切れ店が続出していた。
 
 
 
5月29日、地元の佐倉市民体育館にて完全招待制フリーライブを行う。
 
また、このライブはスペースシャワーTVで全国に生中継もされた。
 
途中体育館の床が抜けてライブが中断するハプニングも発生したが、
 
久々の復活ライブだけにファンを大いに沸かせた。
 
 
 
7月~12月、シングル『オンリー ロンリー グローリー』で、
 
BUMP OF CHICKENにとって初となるオリコンシングル週間チャート1位を、
 
1ヵ月後に発売したアルバム『ユグドラシル』で週間アルバムチャートでも初登場1位を獲得した。
 
 
12月には同アルバムから『車輪の唄』がシングルカットされ、週間チャートイン。
 
『アルエ』を含めると、シングルカット曲を1年で2作以上トップ3入りさせたのは、
 
グループとしては1991年のX JAPAN以来13年ぶりでの快挙となった。
 
 
 
12月、幕張メッセで2日間3万人を動員する単独ライブとしては最大規模のライブを行い、
 
NHKの番組『スーパーライブ』用の収録も行っていた(地上波テレビとしては初の大々的な露出)
 
この後年末には韓国でのライブも成功させている。
 
 


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
2005年
 
 
この年一番の激戦区から一日遅れで発売したシングル『プラネタリウム』、
 
PS2用ゲームソフト『テイルズオブジアビス』の主題歌になった『カルマ』を含む
 
両A面シングル『supernova/カルマ』で立て続けに初動売上記録を更新。
 
 
特に『supernova/カルマ』は翌年1月までTOP10に残り続け、
 
天体観測に肉薄する50万枚近い売り上げを記録した。
 
 


BUMP OF CHICKEN(バンプ オブ チキン)
 
2006年
 
 
 
3月、藤原基央がソロアルバム『SONG FOR TALES OF THE ABYSS』
 
(ジアビスのサウンドトラック・MOTOO FUJIWARA名義)をリリース。
 
 
 

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